Gの夢 -- Story Part
第7話 それって、ひょっとして、悪いこと?
2009/09/01  
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「組織」の巻き起こした嵐は、一見すると静かに、しかし確実に、世界を揺さぶり始めていた。
嵐はまず東南アジアに上陸し、成長著しかった経済基盤に大きなダメージを与えた。
次に、嵐は北東に向かって進行し、香港を強襲た。
さらにその矛先は東アジアに向かい、順調に成長しつつあった産業に食ってかかった。
「組織」の持つ力は、今や中規模クラスの国家を遙かに凌駕していた。
そして、嵐の向かう先、次のターゲットは極東、YEN だった。

大学の研究室にあるサーバーの片隅で、正体不明の .dat ファイルが、出現しては書き換えられていく。
まさかそれが秘密の文通だったなんて、研究室のメンバーは誰も気付かなかったみたい。
学生が共同で使っているサーバーだったからね。
共有スペースに少しぐらいファイルが増えてても、ちっとも不自然じゃなかったんだ。
Gの予感は的中した。
ラブレターを送ってから2週間後に、データは返事で書き換えられていた。
書き変えたのは誰だか分からないけれど、士錬以外にあり得ないと思う。
研究室のメンバーだったら、まっさきにセキュリティ対策するはずだから。
士錬はこっちの正体を知らない。
そして、士錬も私たちも、第3のハッカーの正体を知らない。
文通は、その後、微妙なペースで進行した。
私たちは遠回しな警鐘を送りつつ、お互いの正体を探り合った。
士錬はそれに直接応えず、「現在、画期的なプロジェクト進行中」とだけ返ってきた。
そんなこと、わざわざ言わなくたっていいのに。
きっと、こっそり誰かに聞いて欲しかったんだと思う。

・・・

運命の日は、3ヶ月後にやってきた。
「プロジェクト完成。結果をリアルで見せたい。そろそろお互い会わないか?」
この3ヶ月のうちに、当初の警戒心はだいぶ薄れてきた。
お互いがこの大学の学生だということ、非公式にアクセスしていること、秘密を打ち明けても大丈夫なこと。
思い切って会合を提示してきたのは、士錬くんの方だった。
満月の深夜、午前0時、大学計算センター、そこが待ち合わせの場所。
まったく、デートにふさわしくない場所だよね。
それでも月齢は、Gが外出するにはもってこいな感じ。
できればGには出てきて欲しくないから、目に見えない形態になって、こっそりついてきてもらったの。

深夜の計算センターは、普段は閉まっているんだけど、
時々メンテナンスや研究用のバッチ処理で作業に入ることがあるの。
だから、こっそり会うには絶好の場所なんだ。
よく利用許可が取れたね、ですって?
へへっ、そこは管理記録を、ちょちょいっとね。
リアルで士錬くんと顔合わせるのは、3ヶ月ぶりなんだ。
どんな顔して会ったらいいのかな。
「お〜っす!」じゃ軽いかな。
それとも、「どうも、ご無沙汰しております」じゃ他人行儀だよね。
私は、にへらーって緩んでくる顔を引き締めた。
でも、実際に再会したときには、どちらの言葉も私の口には上ってこなかった。
「鏡坂! まさか、君が・・・」
驚きを隠せない士錬くんの表情からは、暖かいものが何一つ読み取れなかったから。
士錬くんは、どんな人物に会えることを期待していたんだろう。
そういえば、私はどんな士錬くんに会いたかったんだっけ?
「正直に驚いたよ。まさか君が、これほどの腕の持ち主だったとはね。」
士錬くんの表情は、まだ読み取ることができない。
私は、無言のままだった。
「いや、鏡坂さんであっても構わない。今日は話をしに来たのだから。」
“鏡坂さん”なの、リンじゃなくて?
なんだか士錬くんが遠のいたみたい。
「君なら分かるだろう。
 今の俺は、そう、人より一歩抜きんでた能力を持っているんだ。
 抜きんでた、ね。」
そう言って、士錬くんは私の方に向き直った。
「確かに最初のうちはそう思っていた。
 でも、そこに、君が現れた。」
私はどう答えていいのか、わからない。
だって、今の士錬くん、恐い人だよ。
「驚いたよ。俺と同等の能力を持っている可能性のある人物がいる。
 しかも、その人物は、どうやらこちらの能力を把握している。」
しばらく、沈黙が支配した。
「どうすれば、いい。」
やっと、かすれた声で、それだけ言えた。
「私は、どうすればいいのかな。」
今度はこっちが尋ねる番だ。
「・・・組まないか。」
「えっ?!」
待ちかねていたはずの士錬くんからの誘いが、まさかこんな形でやってくるとは。
でも、違う。
私の想っていたのと、全然違う。
「同等の能力の持ち主ならば、ペアを組んだ方が効率がいい。
 お互いが相手の秘密に怯えることもない。」
「・・・それって、ひょっとして、悪いことだよね。」
「ハッ」
何を今さらって、士錬くんはそんな顔をした。
「それじゃあ、どうやって君は、センターの入館許可を取ったのかな。
 これは悪いこと?」
あっ、そうか。
・・・って、一瞬、説得されかかった。
「同じ事さ。 そんなに固く考えなくたって、いいんだよ。」
でも士錬、それ、やわらかすぎだと思う。
「先に俺の方から手の内を明かそう。
 今日は、デモンストレーションに来たんだ。」
士錬は1つの端末に向かった。
その先は、VPN回線を通じて、水色の結晶と測定機器が置かれているマンションの一室へとつながっていた。

量子コンピュータ。
それが士錬の抜きんでた能力の正体だった。
通常の物質であれば、NMRスペクトルは固定されたものとなる。
しかし、士錬が着目した高分子素材は、固定された結晶とはかなり趣を異にしていた。
金属元素を囲う長いπ電子の列には柔軟性があって、周囲の電場と環境に従って自由に形を変えることができた。
液晶のように、生体膜のように。
高分子素材は、いわば“プログラミングできる物質”だったのだ。
素材の持つ柔軟性は、量子計算の可能性を飛躍的に高めた。

士錬くんは手慣れた様子で、トラップ入りのページをどこかのサイトにアップした。
有名な通販サイトの、アフィリエイトページ。
あちこちの検索サイト、リンク集に自動登録すると、程なくトラップにユーザーが引っかかってきた。
その間待つこと20分くらい、想像よりも、ずっと反応が早い。
トラップページからユーザーIDと公開キーを抜き取ると、ここからが本番の解析スタートだ。
長い数字列に合わせて、リモートにある結晶の構成を微妙に調整する。
精密なカメラのピントを合わせるように、上位の桁から、1桁、また1桁と調整を進めてゆく。
やがて、結晶の構成がピタリと一致すると、次は測定のステップ。
スキャンを何度も繰り返して、結果の精度を上げる。
ここまで来れば、もう解けたも同然。
結果を解析プログラムにかけて、秘密のコードを引き出した。
再びインターネットに向かった先は、ネットバンクのホームページ。
士錬くんは、どこの誰とも知らない番号を打ち込んで、ちゃっかり口座にアクセス成功!
さっき作ったトラップページは、あっという間に姿を消した。

「すごい、すごいよ、シレン、天才。
 もう天才の卵じゃなくって、ホントの天才!」
私は今の状況を忘れて、無邪気にはしゃいじゃった。
「ありがとう。・・・でも、その言葉は、今の俺にとってほとんど意味が無い。」
「どうして。学会でも、新聞社でも、どんどん発表すればいいじゃない。
 そしたら一躍有名人だよ。」
「もう遅いんだ。」
「どうして。」
「まだ、学会も新聞社も無視していた頃に、こいつの可能性を見抜いて、投資してくれた組織がある。
 ここまでこれたのは、その組織のおかげだ。
 俺は恩義を感じている。組織を無いがしろにする訳には行かないんだよ。」
・・・組織。
全く実感のともなわない、その言葉を、士錬くん本人の口から聞くことになろうとは。
「リン。君であって本当によかったよ。」
士錬が一歩、私の方に近づいてきた。
ただのお友達の距離よりも、ずっと近くに。
え、ええっと、その、士錬が“男”だってこと、すっかり忘れてたぞ。
いや、忘れてたわけじゃないけど、こんなんじゃイヤッ。
やばっ、やばいよ、心の準備ってものが。

土壇場で、Gが実体化した。
Goodタイミング!
もち、士錬くんにとっては、最悪のタイミング。
「だ、誰だ、きさまは!」
「マスターを守る、ナイトといったところかな。」
かっくいー、一度は聞きたかったセリフだね。
士錬くんは、私の方に向き直った。
「それが、君の切り札ってことか。」
Gの方に向かって、すごい敵愾心を剥き出しにしていた。
「潔くないな、鏡宮士錬。」
Gは涼しげに応じた。
一方の士錬くんは、吐き捨てるように言った。
「ハッキングの主は、こんなやつだったか。」
「ならば、どうする。」
「俺は認めない、貴様のことを。」
「そうか、ならばここは男らしく、1つ勝負をしようじゃないか。」
「望むところだ。」
あれ、あれれ、つまりこれは、私を巡る戦いってことに、なるのかな?
成り行きとはいえ、なんか険悪なムードになってきちゃったぞ。

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