Gの夢 -- Story Part
第5話 有限体はGの紋章
2009/09/01  
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「G、Gっ! 起きなさいってば。出番よっ、出番!」
「なんだ、リン。やけに騒々しいな。」
「マスターって呼びなさいったら。」
「はい、我がマスター。時に、私がすべきことは何も無いと思うのだが?」
「あんたねー。そういうのを、この国では穀潰しっていうんだよ。
 昔話風に言えば三年寝太郎、今風に言えばニートひきこもり!」
「・・・で、私に何をしろと?」
「調べて欲しいことがあるの。」
そう言って、私はGに、士錬くんとのいきさつを話した。
「別に良いのではないか、人生は人それぞれだし。」
「ぜんっぜん良くなーい! だいたい怪しいと思わない?
 就職が決まったんなら、あんなにこそこそすることないし、
 まっとうな会社だったら、大学で勉強終えてから来なさいっていうよ、ふつー。」
「正論だな、我がマスター。
 見かけによらず明晰な思考が働くではないか。」
「でしょ、でしょ。私のカンは冴えてるんだから、
 ・・・って、G、いま何て言った?」
「気にするな。
 リンの話から推測すると、おそらく士錬が手がけているのは工作活動、
 特に暗号解読ではないかと思う。」
「えっ!?」
正直、Gからまともな答が返ってくるなんて、期待していなかった。
「・・・工作って、スパイのこと?」
「ああ。昔から優秀な学生は、よく諜報員にスカウトされることがあった。
 数学に秀でた才能、因数分解、楕円曲線。
 暗号解読を示唆する断片は、そろっていると思うのだが。」
「じゃ、シレンのやってることって、クラッキング?」
「早まるな。私が判断できるのは、マスターから聞いた断片的な情報だけだ。
 だいたい見たところ、リンは少々思い込みが激しい。
 もう少し冷静な状況把握に努めた方が良いのでは?」
「そう、そこでGに、その状況把握ってやつをお願いしたいの。
 ・・・あと、マスターだからね。」
ちょっとしつこかったかな。
「しかし、その彼氏より先に、私がこそどろの真似をするのは、どうもいただけないな。」
「こそどろじゃなくって、かっこよく探偵ってことにしたら。
 あなた、ただの人間とは違う、魔力の高まる夜にはどこにでも侵入できるって言ってたじゃない。
 それに、シレンくんのやってることって、あなたじゃないとよくわかんないでしょ。
 ちょっとは役に立ってよ。」
「ふーむ。では、少しはマスターの頼みも聞いてやるとするか。」
やっと言うこと聞いてくれた。
“あなたじゃないとよくわかんない”ってとこが、Gのプライドをくすぐったんだよ、きっと。
「それでは、こちらからも1つ頼みがある。
 マスターの持っている、その有限状態機械を貸してもらえまいか。」
Gが有限状態機械って呼んでいるのは、私のパソコンのこと。
ポムって名前の、かわいいノートPC。
勉強に必要だからっていって、入学祝いに買ってもらったんだ。
「それと、計算センターのアカウントがあれば、なお都合がいい。」
私はGに、情報処理演習で使っているIDを教えた。
Gはいつも家に居るみたいなのに、どうして大学の計算センターのことなんか知っているんだろう。
これもGの能力の1つなのかな?
「貸すのはいいけど、Gってパソコンなんて使ったことあるの?」
「大丈夫、こいつの基本は有限体GF(2)の拡大だ。名前がGで始まっている。」
何のことだろう?
「・・・たまたま先頭の一文字が同じってだけじゃない?」
「そう、たまたま、ね。」
Gはニヤニヤしながら、ノートPCを受け取った。

・・・
後から振り返ってみれば、それは偶然に幸運が重なったような発見だった。
NMRに微かに入り混じる線スペクトルの塊。
一見すると、ただのノイズにも見えた。
士錬が偶然にも発見したのは、そのノイズの塊が、見方によっては「意味を持つ」ことだったのだ。
半信半疑で確かめてみた計算結果は、スペクトル塊とかなりの程度での一致を見せた。
大発見である。
しかし、この発見にはまだ多くの欠点があった。
1つには、スペクトルがあまりにも不明瞭であったこと。
一致していると言えば一致しているようにも見えるが、違うと言えば違っているようにも見える。
正しいと言い切るには、主観と信念のバイアスが必要だった。
さらに大きな欠点は、なぜこのような結果が得られるのか、理論的にはっきりとした説明がつかないことだった。
理論とは往々にして、偶然による発見の後付けであることが多い。
それでも理論には外せない重要な役割がある。
他人に事実を納得させる、という重要な役割が。
明解に示すことのできない事実は、他人に伝えることができない。
それが士錬の発見にとって最大のアキレス腱となった。
当初の興奮が冷めると、眼前の事実をどのように伝えるべきか、士錬は当惑した。
一介の大学生に過ぎなかった士錬にとって、荷が勝ちすぎていたのかもしれない。
もちろん、それなりの努力は行ってみた。
先生をつかまえて尋ねてみたり、インターネットに書き込んでみたり。
しかし、士錬のあいまいな発見は無視される結果に終わった。

運命を変えたのは、インターネットに掲載されていた懸賞付きの問題だった。
 Factorize the following large number.
 231584178474632390847141970017375815706539969331281128078915168015826259279871
素性もよく分からない海外サイトだったが、士錬の発見を試すにはうってつけの問題だった。
ここでも偶然と幸運が重なって、士錬は誰よりも早く解答を送ることができた。
返事のメールには、一番乗りで正解に達したことへの賞賛と、解答に至る方法が尋ねられていた。
士錬は「発見」の内容を打ち明けた。
次の返事で、賞賛は激賛へと変わった。
冷静に考えれば、顔を合わせたこともないメールの主に対して、もっと慎重になるべきだったのかもしれない。
しかし、自分を評価してくれたということが、士錬にとっては何よりも嬉しかったのだ。
メールのやりとりは、やがて仕事の依頼へとつながっていった。
提示された金額は、士錬の予想よりゼロが2つ、いや、3つも多かった。
その一部は、前金としてリアルに振り込まれてきた。
士錬は心を決めて「仕事」へと向かった。
メールの依頼主は、士錬の要求に気前良く応じた。
士錬が最初に行った仕事。
それは研究室から持ち帰った水色の結晶を解析する、高価な測定機器を取り寄せることだった。
数日後、くだんの懸賞サイトはネット上から姿を消した。

・・・

「あ〜っ!」
私のかわいいポムちゃん(ノートPC)の画面が真っ黒!
ピンクのデスクトップが気に入ってたのにー。
「無駄な飾りはCPUを消費するだけだ。
 最適化したのだから、むしろ感謝してもらいたい。」
とほほ、こんなんだったら、Gに貸すんじゃなかったなぁ。
「で、そこまでしたんだから、何かしっぽを掴んできたんでしょうね。」
「ああ、ヒルベルト空間の興味深い応用例を見た。」
Gは時々意味不明の言葉を吐く。
あたしのこと、おちょくってんのかしら。
「あたしに解るように言ってくれない。」
「マスターの直感と、私の推測はおおむね当たりだ。
 士錬は結果的に、クラッキングの片棒を担いでいる。
 恐らく自分が何をしているのか、全容を把握してはいまい。
 考えてみれば、彼もかわいそうな青年だ。」
おっどろきの事実は、Gが超有能な探偵だったってこと。
士錬くんの発見、水色の結晶、ネット上でのやりとり、仕事の依頼。
いったいどこをどう探ってきたんだろう。
そして、士錬くん当人でさえ知らない“メールの依頼主”の正体まで、Gは探り当てていた。
依頼主の正体、その先に、とある「組織」が浮かび上がってきた。

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