Gの夢 -- Story Part
第10話 黒い月の日の15時間
2009/09/01  
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「組織」の仕組んだ巧妙な時限爆弾は、既にカウントダウンに入っていた。
ひとたび爆弾が破裂すれば、その衝撃波は NewYork、Tokyo、London の順に世界を一巡することになる。
そうなったら、もう誰にも止められない。

・・・

この日、時限爆弾が炸裂するこの日に合わせて、私たちは決戦の火蓋を切った。
なぜ、こんな決戦に臨まなきゃいけないのか、私にもよくわからない。
ただ、止むにやまれぬ高ぶった気持ちが、自然にそうさせたんだ。
正義のため、世界を救うため、なんて大義名分は、この際どうだっていい。
これから起こることは、個人的な復讐劇なのだから。
なので、相手が「組織」であるかどうかも、それほど大事なことではなかった。
大事なのは、今、このとき、この場所で、一体何ができるのか、ただそれだけだ。

この日、私たちは、士錬くんのマンションに集まった。
そこには量子コンピュータと測定機器がある。
ズラリと並んだモニターの列。
その中を、せわしなく動き回るグラフと数字の列。
これは全部、今日という日に備えて集めてきたものだ。
士錬くんの量子コンピュータは、その後、GとAがあれこれいじって改良に改良を重ねていた。
なんか2人で、“ながまる”がどうの、“もじゅら”がなんだかんだで、楽しそうにやっていた。
私には、もうさっぱり。
士錬くんでさえ、目を白黒させていた。

作戦開始は午後6:00から。
GとAが一緒にいられるのは、最大15時間。
そうでなくても、世界が異常に気付いてから非常線を敷くまでの時間は、それほど長くはない。
「まずは弾丸を集めるぞ。」
マンションの一室から出た信号は、大学計算センターを経て大手町へ。
そこから太平洋を越えてロスアンジェルスへ。
香港、バンコク、シンガポールに次々と拠点を構築していった。
GとAは、侵入できそうなポイントに、片っ端からアクセスを開始した。
この日のために蓄えたリストが、5040件。
咲ちゃんは、端末に向かうAの姿を、たぶん初めて見たのだと思う。
すごく意外だって顔していた。
その驚きをよそに、Aは迅速にリストを潰していった。
Gに負けないくらいのスピードで。
正攻法で時間がかかる扉の解析は、士錬くんの役目。
パワーアップした量子コンピュータは、RSAだけじゃなくて、楕円曲線、エルガマル暗号にも対応済みらしい。
1問につき30分くらい。
ちょっとした試験問題くらいの要領で、要点を突破してゆく。
咲ちゃんと私は、入手済みの「合法アカウント」で、指示通り買い付けの発注を出す。
お金って、こんなに簡単に集まっちゃうんだね。
スパイ映画よりも投機よりも、いま手元を流れている数字がお金だってことが、一番実感湧かない。
・・・それって、ひょっとして、悪いことだよね・・・
そんなセリフが、ちょっとだけ頭をよぎった。
モニターの中の数字が、雪だるま式に増えてゆく。
そう、この数字は、本当に雪だるまなんだ。
小さな芯を中心にして、借金に借金をくっつけて大きくした、雪だるま。
数十時間後に迫った爆発に合わせて、このでっかい雪だるまをポーンって放り込むのが、私たちの役目。
それでホントに火事が収まるのかな?
私たちも、きっと「組織」のメンバーにも、それはわからない。
結果を知っている人は、世界中に、誰もいない。

世界中のあちこちでセキュリティ警告が同時に上がった。
銀行、証券、大企業。
帳尻の数字が合わないのに、みんな大騒ぎだ。
作戦開始から、正味たったの8時間。
あちこちで回線封鎖が始まった。
「そろそろ、引き上げ時じゃないか。」
Aが初めて手を止めた。
「ああ、足が着くのもまずい。
 回線を切り替えて、後は正規トレードだけにして、明日に備えよう。」
でも、この判断は、ちょっとだけ遅かったの。
この世界では、兆しが見えたら、もう遅いんだって、身をもって知ることになった。
回線封鎖は、徐々に範囲を狭めてきている。
拠点サイトが、片っ端からアクセス不能になった。
特に、日本から、海外へのライン。
やばっ、震源地が日本だってこと、バレバレじゃない!
計算センターをすっぽり囲む形で、私たちの回線は孤立した。
ただ一カ所だけの出口を残して。
出口の先は、海底ケーブルを通じて、アメリカ本土にある1つの施設へとつながっていた。

・・・

大統領の緊急指令が秘密裏に発動したのは、作戦開始から7時間20分後だった。
指令内容は「世界規模同時多発クラッキングの阻止」。
その施設は、ニューメキシコの砂漠の中に、ひっそりとたたずんでいた。
いや、ひっそりという言い方は、当を得てはいないかもしれない。
そこには、世界最高峰の頭脳が集まっていたのだから。
ノーベル賞でさえ、そこではごくありふれたものに過ぎなかった。
公開鍵暗号をことごとく無力化する、迅速なクラッカー集団。
既に、彼らは発信源を日本の特定地域に絞り込んでいた。
「Japan、か。
 確か、あそこは量子コンピューティングの実用化に力を入れていたな。」
「もしカンパニーだとしたら、アンフェアな手段だ。」
「カンパニーでなかったとしたら。目的は、サイバーテロか。」
「単純な混乱目当ての行動には見えない。
 彼らの目的は、恐らくNewYork市場だろう。」
金融工学の旗手、彼らはそう呼ばれていた。
もっとも、彼ら自身はこの敬称を、あまり気に入ってはいない。
彼ら自身は、浮ついた世間的な敬称よりも、純粋な理論家と呼ばれることを好んだからだ。
彼らの名は、マイヤーとロナルド。
共にノーベル経済学賞を受賞した、世界のトップだった。
軍のスパコンの利用許可が下りた。
「マイヤー、OKだ。1時間45分後に利用可能だ。」
「ご協力感謝する。あと3分縮めてくれ。」
「・・・やる気だな。ベストを尽くそう。」
いったん通信回線を切ると、マイヤーは相棒のロナルドに漏らした。
「こんな物言いをしても、君なら分かってくれると思う。
 正直なところ、今の私にとって世界経済なんかどうだって構わない。
 小さな問題に過ぎないのだ。」
「ああ、同感だ。
 生きているうちに、こんなチャンスに巡り会えるなんて。
 俺たちは、本当にラッキーだな。」
ロナルドは、すぐに相手の意を汲み取った。
自分も同じ気持ちだったからだ。
「これは、全存在を賭けた戦いになる。・・・そう、戦争だ。」
再び連絡が入った。
「1時間37分、これ以上は縮まらない。
 それから、やっこさんがここに来るのは、最速で50分後だ。」
「了解、ごくろうさん。
 今から後は、他の回線を全て遮断して、我々2人だけにしてもらえまいか。」
「??、私たちも、できる限りのサポート体制を敷いているのだが、不要なのか。」
「いいかい。我々は、数学がしたいのだ。」
マイヤーの語気に押されて、通信回線は無言のうちに切断された。
セミナールームは、2人だけとなった。
一列に並んだワークステーションの微かな振動だけが、静寂を破っていた。

これまでの挙動からして、敵は恐らく2人だ。
ならば、我々も2人でお相手しようじゃないか。
相手は基礎数論について、人間離れした能力を持っている。
相手の土俵で戦うのは戦略としてexcellentではない。
数論のフィールドを避けて、我々は、常勝の確率過程で行くべきか。
否、私は、あえて「ここ」で勝負したい。
私がコンピューター・サイエンス出身だということは、君もよく知っているだろう。
ならば、私も Mathematician だ。
決まったな。
2人は互いの目を見合わせて笑みを漏らした。

同じ頃、GとAも、互いに目を見合わせて頷いてた。
既に、互いの想いは1つだった。
我々が「この世」に留まれる期間は短い。
それまでのうちに、この世に刻み込んでおきたいものがある。
たとえ我々の命が短くとも、数学は永遠なのだから。
単純群の中に、非常に大きなものがある。
それが保型形式を通じてモジュライ空間と結びつく。
相性の悪かった、有限の世界と、連続的な世界。
両者の重なりの中に、高い対称性を持つ24次元の空間が出現する。
そこに「宇宙」が作れるのだ。
これはもう、ただの計算なんかじゃない。
Universe だ。
これが、我々の人類に贈る、最高のプレゼントだ。
受け取れ、人類よ!

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